これから書いていくこと

半世紀前の事

小学校の授業で公害についてみんなでディスカッションすることがあった。私はその公害について、光の害と言うものもあると提案した。当時星を見るのが好きだったので、これ以上街の光が強くなっていくと、もう都会では星が見えなくなってしまう。そういう意味で提案したが、先生を含めクラス全員がキョトンとした顔をしてスルーされてしまったと覚えがある。

中学校に入った時にオイルショックが起きた。とても個人的にもショックだった。世界に石油がなくなってしまったら日本はどうなってしまうのだろうかと言う恐怖心とらわれた。それと同時に日本の食料自給率がとても低いということを学んだ。当時の日本は高度成長が既に終わりを遂げていた。とは言え半導体などの比較優位の製品を持っていたことで、工業立国として十分貿易黒字を稼げる国だった。

その一方で、水俣病やイタイイタイ病などの公害が非常に問題視されている時期でもあった。さらに、当時建設が推進されていた原子力発電所に関しても、汚染された放射能廃棄物をどのように処理するかと言う技術が確立していない中で、原子力発電所を建設し続けることについて強い疑問を持っていた。

当時、ローマクラブと言う団体が「成長の限界」と言う提言をしていた時代だ。

全く個人的な感想ではあったが、男性たちが、やれ戦争だ高度成長だなどと散らかしまくった世の中をとにかく片付けなきゃいけないと言う思いが強かった。そしてそれには女性の力が必要だなと言うふうに感じていた。それが高校生の頃だ。

大きな視座で物事を言うのであれば「資本主義の限界」と言うものをうすうす感じていたようにも思う。

そういうこともあり、もうすでに下火になっていた学生運動に関しても、シンパシーを感じていた。「東アジア反日武装戦線」と言ういわゆる新左翼系テロ組織が三菱重工ビルを爆破すると言う事件があった。そのニュースを見て、姉が「何の罪もない人が殺されてしまうなんてほんとにひどいと」泣いていた。

それに対して、僕は「三菱重工に勤めていると言う事だけで、何の罪もないと言うことをなぜあなたは言い切れるのか」と問い詰めてさらに泣かしてしまった。単なる新左翼に対するシンパシーだけでは無く、私たちはすでにもうどこにも逃れられないことをボクは感じ取っていたのだと思う。

しかしそれとは全く別の文脈で、私は国立大学に入学せねばならなかった。そのための受験勉強で結構神経はすり減っていた。

同時に、思春期ならではの様々な身体的なコンプレックスや異性との関係においても、非常に複雑な感情を抱いていた。

私が通っていた中学高校は、一貫校でイエズス会系のミッションスクールだった。神に仕える「先生たち」が、生徒に向かって「人を押しのけて受験勉強で勝利を勝ち取れ!」と言う矛盾について、どうしても自分の中で整理ができなかった。

精神的には非常に行き詰まっていた。現在であれば心療内科に通わされていたと思う。

それから約半世紀。未来に対しての見通しは、当時よりもひどくなっている。

そして自分に残された健康余命は15年もないと思われる。

私は何々をすべきであると言った「べき論」は語りたくない。「なになにすべきと言う考え方」と言うのは、どこか遠いところから自分のことはさておき批評している感じで好きでないからだ。全く矛盾をしているが、その一方で私はこれからの人生をどのように過ごす「べき」なのか、そこに答えは全く見出せていない。

正直言って、圧倒的なあまりに圧倒的な世界の混迷に対して、あまりにも無力と思えるボクには、どこから手をつけて良いのか全くわからない。

だからといって、何もしないで煩悶していると言うのも、精神衛生上とてもよろしくなく、昼間から酒を飲んでしまうと言う最悪の事態に及んでしまう。

内田樹氏が「散らかった部屋を片付けるときには、戦略的な対応ではなく、まず目の前にあるものを1つずつ整理していくということが1番正しいやり方である」と言うことをおしゃっている。それは正しいような気がとってもしている。まずできることを一つひとつやっていくしかない。その一つとして自分のこれまでの経験値や知識を整理していくと言う作業が必要なんだと言うふうに理解している。

その際の自分に課するお作法として、「ポジティブ」とか「建設的」とか「前向き」といった言葉は、いわゆる「経済成長を良しとする」と言う文脈の中でその正しさが担保されていると言う意味で、僕はこのような言葉を使いたくない。

だからといって、非建設的で後ろ向きな発言と言うのも、何も生まないことをわかっている。

ポジティブとかネガティブとかと言う二項対立をジャック・デリダ風に脱構築していくということがきっと大事なことなんだろうと思った。

そのような構えの中で、自分の考えを整理していくとここに宣言してみる。

2023年8月17日朝3時7分。

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